月別アーカイブ

■ 近頃のこと

2024/07/31

真夏の鶯

この異常な暑さの中、裏山の鶯が早朝から夕方まで、何処かに滝の落ちる深山でもあるかのように、澄み切った声で鳴いてくれているのです。

宮古島の東シナ海側には、吉野海岸とか新城(あらぐすく)海岸とか、干潮ともなれば浜辺のすぐ近くまで珊瑚礁が頭を出す美しい浜があるのですが、毎日満潮に合わせて出掛けては、延々とリーフの外まで泳いでいって、一気に30mも深くなる外海のずっと先まで、素潜りしたりで海亀と遭遇しながら遊びまくっていたのです。

今やすっかりブームの地となってしまい、昔の宮古島を知る者ほど、その通俗化をひたすら残念に嘆くばかりでいるのですが、その観光客をターゲットにした内地の業者が、どこの浜をも占領して商売しているのだとか。

私達の頃といったら、6月末の梅雨明けの頃など浜には人影もなく、モンパの木陰に泳ぎ疲れた腰を下ろして、枯れ枝に干した白いTシャツのはためく向こうに、夏雲の湧き立つ水平線を見ながら、浜を海を、独り占めしていたものでした。

泳ぎに出る時は、モンパの枝にお金や車のキーを入れた袋をぶら下げて行くのですが、時には泳いでしか行けない、星砂が山のように積もった浜の波打ち際に転がって、炎天下にひたすら悪口ばかりの談笑の時を過ごして4時間半も帰らなかった時でも、盗難とかまるで心配なくていられたのです。

新城海岸を一望出来る坂の上から、草の生い茂った細道を入った林の中に、新城集落の聖地である御嶽(うたき)があるのですが、焼けるような夏の昼間でありながら、不思議とそこばかりは肌寒いほどの風が、いつでも吹き渡っていました。

ひっそりと静まり返った御嶽のすぐ脇に小さな池があり、冷たい水が豊富に湧き出していたので、そこで海水の身体を流して一息つき、それからお気に入りのスムバリ食堂とか、干潮でも泳げる池間島の海に向かったりしたのでした。

ですからきっと、裏山で鳴き続ける鶯も、何処かに新城の御嶽のような涼風の吹き渡る場所を知っていて、そこで冴冴とした鳴き声を響かせてくれているのかもしれないとか、それはいったい何処なのだろうかとか思いながら、強い日差しを手の平で遮りながら、鬱蒼と緑を重ねた裏山を仰ぎ見たのです。

さて、夏ならではに、七夕と蓮の花の制作依頼が続きました。蓮の花は、花器の活花と平薬です。

お釈迦様が散歩される池に咲くのが蓮の花と言われて、異議を唱える者など誰一人としていないのではないかと思われるほど、蓮の花には仏教と切り離せない美感が、別格に現世離れして漂いますが、制作していても、清々しい気持ちになるのです。

その池にもきっと、何処からとも知れない涼風が吹き渡っていて、時折は蓮の花弁を散らして過ぎるのかもしれません。

平薬

活花

花びら

ページトップへ