夜も更けたしと、開け放したサッシを閉めに向かえば、やたらに廊下が明るいのです。
台風10号の後、いきなり肌寒い程の日が続いたので、漸く秋の到来かと安堵したのも束の間、凄まじいほどの日差しと、34℃を超える暑さがぶり返したのです。
しかし、それでもいつの間にやら、廊下から私の寝間に掛かるまで、月の光が差し込むようになっていたのでした。
18時にもなればすっかり薄暗くなってしまうし、軒先に干した洗濯物の上の方まで陽が射し込んでいるのに気付かされたり、物干し竿の向こうに紫苑が透き通るような明るい薄紫で咲き始めていたりと、やはり秋は確実にやって来ているのです。
夜の庭に響き始めた秋の虫の音は、日に日に種類を増していましたが、その庭に7月頃から鮮やかな黄色を高い背丈に浮かせて咲いた女郎花が、今年はどうしたことか、執拗に続いた猛暑にもかかわらず、未だに、明るい黄色を見せてくれています。
有職造花制作において、女郎花の完成は未だに成せず、細かな粒の造花材料を使えば、それなりに見えるところまで漕ぎ着けはしたものの、そうやって作ったところで、なかなか女郎花ならでこその情緒を匂わせてはくれないのです。
『鳥獣戯画』を模写すると、ウサギや猿、そしてカエルの指など言うまでもなく、背景に描かれている桔梗や女郎花などの植物まで、絵師はその成り立ちを完全に腕に覚えてしまっていることに驚嘆させられてしまいます。
決して自然の生態を歪めることのない写実が貫かれながら、描き癖かと見紛うほど、絵師の中で消化され、様式化されて、何よりも至極当たり前に、何気なく描いてのけられているのは、いつであろうが空で描けるほど、身に付けているという証でしょう。
運慶の彫った『世親立像』を後ろから見ると、首の裏の所がボコボコに彫られているのですが、あれも又、運慶が世親を彫れば、手が勝手にそうやって彫ってしまうといった、身に付いた造形に感じたものでした。
有職造花で、例えば桔梗を作る時、葉の付いた位置の2箇所ほどをちょっと曲げるだけで、いきなり造花を超えた自然の表情とでもいうべきものが加わるものですが、それは技法とかいう類いではなく、身に付いた当たり前のことをしただけのことなのです。
勿論、『鳥獣戯画』にしろ『世親』にしろ、私の感性で直感したというだけのことに過ぎないのですけれど、私が女郎花を作れるようになった時というのは、案外自分でも気付かない、いつの間にやらのことではないかと思ったりもするのです。
『身に付く』とは、そんなものですから。
つい先日、茱萸嚢の制作依頼があり、納品も終えましたが、新規の方からの依頼は、何と8ヶ月ぶりのことなのでした。
寂しい限りではあるのでしょうけれど、有職造花のような、およそ今の時代にそぐわない工芸品が消えたところで、社会には何の影響もありません。
又、私自身が正統な有職造花を今の世に広めようとか、技術を伝え残そうとか全く思わないものですから、新しい依頼が絶えて行くのも、いわば、私自身が呼び寄せていることなのかもしれません。
9月17日にして、およそ残暑などという代物ではない猛暑にウンザリさせられながら、それでもTシャツの袖を人目も憚らずに肩までめくりあげ、脳梗塞で倒れた友人を見舞いに東京を歩いて来たのですが、都会の喧騒などどこ吹く風と、まるで知ったことではなかったのでした。