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■ 近頃のこと

2024/09/30

ひとり花咲く

サルスベリというと、心に残ったままの数ヶ所が、即座に目に浮かぶのです。

どんな理由だったのかわかりませんが、父は屋敷にサルスベリを植えるものではないと、庭に1本だけあった、老木のような太さがありながら、背丈といったら就学前の私よりも低いサルスベリまで、掘り返してしまったのです。

私も母も祖母も、サルスベリが好きだったのでしたが、そんな訳で、屋敷跡を越した後ろに見える、幼馴染の家の大きな萱屋根の横に、夏の初めから終わりまで、赤い花をたわわに咲かせるサルスベリを羨ましく眺めたものでした。

幹がツルツルなものだから、猿でさえ滑って登れないのでサルスベリというのだと教えてくれたのは、祖母だったように思います。

墓参りにゆく道の途中に、教育者だったという先人を讃える、平たい石の碑があったのですが、直ぐ脇に樹皮が白と薄茶の斑になった大きなサルスベリがあって、それもまた赤い花が、見上げるような石碑を覆うように咲いたのです。

石碑の裏には、それを建てるにあたって寄付をした人達の名が刻まれているのですが、祖母が『ほら、ここだ。』と指さしたのは何故か祖母の名で、それがどことなく得意げな顔付きだったように思い返せるのです。

長く通った図書館の坂道脇にも、大きなサルスベリがあったのですが、そのサルスベリといったら、枝垂れ桜のように、細い枝が坂道に垂れ下がって、その先端に毎年びっしりと、美しい薄紫の花を咲かせるのです。

瑞々しい青緑の葉と、黄緑の萼、黄色の雄蕊までが調和して、そのどれもが穏やかに和らいだ上品さで情緒を醸し、炎天下の涼風がそこから発しているかの如く思えたものでしたが、花は日毎に落ちてさえ、薄紫の絨毯を敷き詰めるように、道を覆ったのです。

明治中頃の開館という図書館は、その敷地に何本もの大きな銀杏やら、八重椿やら、ヒマラヤ杉やらが鬱蒼として在ったのでしたが、バブル期頃の建替えで、殆どの樹木が切り倒されてしまいました。

県の文化財指定打診を無視して、煉瓦による明治洋風建築の書庫を壊し、樹木の伐採で広がった敷地に新しい図書館を建てるという計画を聞いた時、あのサルスベリまで絶やしてしまえるとはと、今更のように落胆したのでしたが、敷地の端にあったのが幸いして、枝垂れサルスベリは辛うじて命拾いをしたのです。

さて、枝垂れて薄紫色の花を咲かせるサルスベリなど、それより他に見たことがなかったのですが、私はそれと、沖縄の離島で巡り合ったのです。

新しく植えられた街路樹がサルスベリで、その花が紛れも無い薄紫だったのです。

とは言うものの、真夏に百日も咲き続けようとの花なのですから、南国の街路樹によく使われたのも尤もな話で、今にして思えば、そうであるほど枝垂れの品種ではなかったろうとも気付くのです。

沖縄離島の公共事業といったら、往々にして見切り発車で始まり、台風で倒れたりしても、そのまま放置されるのが常でしたから、あのサルスベリも、たわわに花を咲かせるまで育つことなどなかったのではないかと思えば、無造作に植えられた細い枝先に、薄紫の花が少しばかり咲いていたのを思い出すたび、まるで異国の地に売られ、置き去りにされた者達を見るような気持ちにもなるのでした。

さて、『サルスベリ 枝垂れ 薄紫』と検索してみれば、即座にその苗木が出て来ます。

ですから、自宅の庭の大きなサルスベリから、薄紫の花が地上に枝垂れる光景を見るには、遅きに失し過ぎたというものでしょうけれど、とにかく苗木の流通に頼れるのだなぁとは知るのです。

それはまるで、掛け替えのない人と離れてしまっても、会いたいと思えば何時でも連絡を取れる手立てを得たようなものだと、庭のどこに植えたら良いものか、枝垂れサルスベリの植え場所を頭の中で探ってみるのです。

サルスベリ

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