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■ 近頃のこと

2024/10/10

敬老会にて

チャイムの音に開け放しの玄関に出てみれば、近所に住む、小・中学校で2つ下だった人が、誰やら見知らぬ年配者を連れて訪ねて来られたのです。

彼は、数年前に大きな桜立木を作って完成間もなかった頃、たまたま何かの用事で来訪されたことがあり、玄関で立ち話しているうちに、なかなか見られないものが出来たから、ちょっと見ていかないかと呼び入れた時から、以来会えばよく話すようになったのです。

桜立木を目にした時の驚きようと言ったら大変なもので、数日もせず孫を連れて再度見に来た程だったのでした。

年配者は、紹介されれば地区の敬老会行事を一緒に担当しているのだとか、その行事の一つに地区の老人の作ったものを展示するコーナーがあるのだそうで、それに私の描いた祭の行燈を展示させてくれないかと言うのです。

毎年7月の頭に村の道祖神の祭があり、3つに分けられた村の組が、毎年交代で祭を受け持つのですが、その時道祖神の道端やらに立てる、7つか8つの行燈に絵を描かかなければならないのが、当番組にとって、厄介極まりない事らしかったのです。

2日ばかりの祭が終わると、行燈は次の年に張り替えられるまで、公民館脇にある精米所に並べて置かれたので、当番の組がどんな絵を描いたのか1年間晒されるのですが、それはそれは信じ難いような拙さで、そこまで下手くそだとかえって新鮮だったりしたものです。

けれどどんなであれ、とにかく絵を描いたのはまだ良い方で、週刊誌のヌード写真を切り抜いて貼り付けたものすらあったのでした。

行燈のことですから、『御祭礼』とか『五穀豊穣』とか書く正面はともかく...とはいえ、その字も凄まじかったのですが、両脇に描く絵は14、5枚にもなりますから、まるで絵心のない方々の大変さはよく分かるのです。

もう半世紀近い前のことなのですが、私が属する三番組が係の時に、仕事から帰った私にいきなり呼び出しがあって、紙を貼って並べた行燈を前にして、これに絵を描いてくれと言われたのです。

仕方なしに、当時は道祖神の祭というと子供たちが集まって花火を鳴らしたものでしたから、請われるままに子供受けする漫画を描いたのですが、その間親父さんたちが、酒を始めるどころか、大声をあげないように話しながら見ておられたのは、遠慮と気遣いの類だったのでしょう。

しかしながら、古老をはじめ何人もの年配者やらが声を潜める中で、時間を気にしながら描くのも甚だ気詰まりですから、次からは祭までに私が描いて届けるということにしたのです。

その後、誰が余計なことを言ったのか、みっともない絵を晒すより、三番組の番の時だけでなしに、行燈には私に絵を描いて貰うことにしようということになったらしいのです。

どんな経緯か、訪ねてきた年配の方の目に行燈の絵が入り、こんな絵をどこで買うのかと聞いたら、いや、自分の地区には絵描きがいて、頼めばその人が描いてくれるのだと言われたのだとか。

私は絵を描くのが苦手で、当然好きではありませんから、そんな広まり方は迷惑極まりないものの、普段から空き缶拾いとか消防とか、村の集まりに参加したことがないので、自分の出来ることでその埋め合わせをしなければと殊勝に考えることもあり、行燈の絵のようないい加減な物より、もっとちゃんとしたものがありますよと、平薬やらをお見せしたのです。

ちょっと尻込みされた様子でしたが、これを地区の敬老会展示などで、体育館などに飾っても良いのかと気遣われるので、地区の爺さんが作ったものに違いないでしょ?と、大きな『草の薬玉』、『行の薬玉』、そして、秋の平薬『うさぎうさぎ』の3点をお貸しすることになったのです。

敬老会当日、やはり気になったので体育館に出掛けてみれば、花笠踊りとか子供のチアリーディングとか、人出も多いしやたらに賑やかなのです。

有職造花は、体育館の壁際に据えたパネルに、編み物だとか油絵だとか飾った端っこの方にこじんまりと下っていて、全く注目などされていませんでした。

ただ、大きな薬玉だけは入り口にぶら下げてあり、ちょうどケーブルテレビがカメラを回していた所に作者が来たというので、カメラの前で解説してくれないかと言うのです。勿論、即座に断りました。

すると、ケーブルテレビで放送されるんですよ?と、断るのが信じられないといった口ぶりで言うので、『大御所は顔なんて晒しませんよ。』と、逃げてしまいました。

有職造花が端っこの展示だったのは、承知していながらも内心はやはり残念だったのですけれど、幸いライトが程よく当たって、平薬のうさぎなど、まるで生きているように見えたのです。

そして、有職造花というのは、よくよく飾り場所を選ぶものだなぁと、また、庶民文化には花咲けないものなのだろうなぁと、つくづく思いながら眺めるともなしに見ていたのでした。

その後全く思いがけず、ずっと会いたくていた同級生と40年ぶりに会えたのです。

しばらく手を握ったまま話していたのですが、『昔のことを思い出すのが嫌で、だから同級生とかとも会わないでいた。』と、同じことを言うのには、何とも驚かされたのでした。

そしてまた、歳月というのは、妥当な削ぎ落としを重ねてゆくものらしいなぁ...と改めて思わずにいられなかったのです。

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