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■ 近頃のこと

2024/10/17

ヤマトタケルの熊手

随分以前から、一度縁起物の熊手を有職造花で作ってみたいと思っていたのです。

例えば、松や紅梅白梅に鶴などという組み合わせが共通していようと、酉の市などで売られる熊手とは、パーツの素材からして違いますし、根本的に相容れないだろうことも承知しているのですが、年中行事の縁起物として賑やかに屋台に飾られた熊手を目にする度に、一度作ってみたいと思ってしまうのでした。

とはいえ、鯛とかお多福とかを木彫彩色しなければならないし、小判は箔押ししなくてはならないだろうしとか、その『しなくてはならない』ことを考えると、そこまでして作ったところで、どうなるものでもあるまいにとか思ってしまって、結局作らないままでいたのです。

酉の市の熊手というと、けばけばしい色で厚紙に印刷したりのパーツを、何でもかでもゴテゴテと土台の発泡スチロールに刺して、どんどんえげつなくなるばかりとしか思えないのですが、値段にもよったのでしょうけれど、明治期の洋画家川村清雄が描いている明治時代の熊手といったら、蕪とか入船とかの縁起物をいかにもシンプルに熊手に載せただけで、それがかえって、粋に垢抜けて見えるのです。

もう20年も前のことですが、私は一度人形に持たせる小道具として、その熊手のミニチュアを作ったことがあったのです。

白綸子に、凝った刺繍を施した打掛を着て、角隠しをしたお多福が三宝を持って立つ花嫁人形があるのですが、何とかいう寿司屋さんが東京に進出した際に、縁起物としてそれをお買い上げされた事があったのです。

通常その三宝には、五節句の小道具として、若松、桜橘、花菖蒲、七夕、菊花を載せたのでしたが、その寿司屋さんは、お多福花嫁をガラスケースに入れ、店内に一年中飾りたいと言われたので、ならばと毎月違った飾りを載せられるよう、12種類の小道具に工夫を凝らしたことがあったのです。

1月→根引き若松、2月→節分(枡に鬼面)、3月→桃花に菱餅、4月→桜1枝、5月→花菖蒲、6月→青梅1枝、7月→七夕(笹に短冊)、8月→盂蘭盆(胡瓜と茄子の牛馬など)、9月→菊花、10月→月見(ススキに団子)、12月→羽子板(酒井抱一の松竹梅)といった11月に、川村清雄の描いた熊手のミニチュアを作って載せたのでした。

さて、立ち消えたままでいた熊手造りが、先日思い掛けない提案から実現したのです。

息を引き取った日本武尊(ヤマトタケル)が、白鳥(鶴)となって松から飛び立ったという伝説の情景を、上下40㎝程の熊手に出来ないかという制作依頼が入ったのです。

そもそも酉の市の熊手は、日本武尊がお礼参りをした時、神社の前の松の木に、武具の熊手を掛けた事からとされているのだそうで、日本武尊が息を引き取って白鳥(鶴)となり、縁の松から飛び去ったとされる伝説を熊手にして、11月の有職飾りにしたい。

そしてもし可能ならば、鶴のくちばしに、こちらも縁の樫の1枝を咥えさせられたなら、さぞ素敵だろうと思うのだけれど...と仰るのです。

私にとっては、日本武尊の逸話が古事記によろうが日本書紀によろうがどうでもよく、樫はともかく、松や鶴などは有職造花の定番で、作り慣れたものに過ぎないのですが、それを熊手でというのに即座に気持ちが掻き立てられてしまったのです。

松から飛び立つ鶴というのは、藤原定家の歌による創作12ヶ月平薬の10月で既に作っていましたから、同じものになってはならないという気持ちが働きはしたものの、咥えた樫を見せるためにも、鶴が飛び去るのは松の向こう側ではなく、手前である設定の方がずっと映えたのでした。

僅かに7、8㎜程の樫の葉ですから、その先端に付く2個のドングリは3㎜という小ささながら、実物大の樫の葉を作った時と同じ鏝当ても出来て、面白く仕上がったのでしたが、完成するなり何人かに画像を送って見てもらえば、口を揃えたように『品が良すぎる』と言うのです。

成程、これが酉の市の熊手かといったら、あまりにも異質でしょうけれど、熊手を有職造花として私が作るのならば、所詮こんな風にしかならないのでしょう。

そして、そうであればあるほど、そもそも熊手である必然性がまるでないということなのです。

しかし、とにもかくにも、有職造花で熊手を作るという長年の願望が、自分では決して思いつけない提案で、全く思い掛けなく叶えられたものですから、制作依頼を頂いた方に感謝を捧げながら、目に触れる度、思い出したように微調整を繰り返しているのです。

絵

左上鶴

熊手

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