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■ 近頃のこと

2025/05/15

平薬のわかれ

およそ30年前、右も左も分からずに足を踏み入れた有職造花制作の世界でしたが、やっと手に入れた刺繍糸はほんの数色。鏝(こて)といったら、ただ1本の一筋鏝だけしかなくて作ったのが、藤原定家十二ヶ月の花の歌による平薬(ひらくす)で、11月の『枇杷』だったのです。

御所に残るという図案の写しから、忠実に復元したのでしたが、それが以後30年に亘り、110余種類の花や動物による、200以上の平薬を制作する第一歩になったのでした。

十二ヶ月のうち、敢えて枇杷の花を選んだのは、その頃が枇杷の花の盛りだったために、そこかしこに咲いている時期だったからでした。

私は、対象を観察して、構造やら成り立ちを把握しないと作れないので、実物に当たれる時期にそれを有職造花にするほど相応しく、助かることもありません。

朝ドラで牧野富太郎役の主人公が盛んに描いていた植物画のようなものが見られるのならばともかく、そのままを写しているはずの写真では、およそ細部というものが分からず、構造の知りたいところが写し出されず、私には役に立たないのです。

人通りの少ない道端に、ビッシリと枇杷が花を咲かせていたのをこれ幸いと盗んで来て、その枝を存分に観察して作ったのでした。

同時に、枇杷の花を飾り物にする感性や、それ自体が持つ独特の美感にも質感にも惹かれていましたから、不完全な図でしかなかったものの、比例で葉やらの寸法を出して復元したのでしたが、それが思いがけないほどの好評を得たものですから、私はすっかり気を良くしてしまったのです。

やがて、私の有職造花の特質は、直径30㎝の籐の輪の中に、自然界の風物を切り取って見せるとか、物語を持たせた一つの世界を作り上げるといった、オリジナル平薬にこそあり、それが独壇場に近い、平薬あっての私の有職造花とまで思うようになっていったのです。

しかし、どうやらここに来て、私はそんな平薬への執着や思い入れ、ことによると依存とすらいうものに、別れを告げる時を迎えたように感じているのです。

私は、季節を始めとした景物からの触発、又、鳥や小動物、更に昆虫までを花と組み合わせることで、心理的な衝動から頭に湧き上がった物語によって平薬の制作に駆り立てられ、多くはうなされるように、ほんの数日で仕上げて来たのです。

しかし、停滞し始めて消えない『平薬のわかれ』という気持ちの要因を探れば、日常で目にした瞬間、それを平薬に仕立てようとの突発的なインスピレーションに枯渇を感じ始め、既に100種以上の花を作ってしまったからなのでしょうけれど、近頃とみに、花や動物を目にしても、それを平薬に仕立てたいと思う衝動が起きなくなっているのです。

それどころか、越冬の準備に追われるリスが巣穴を開けた雑木を作って、その幹には葉を落とした蔦のツルまで這わせ、いつでも枯れ葉を降らせるとか、リスを飛び出させられるまでに完成させていながら、そのまま3年以上も放置したままでいるのです。

私にとっての平薬制作は、様々嫌気ばかり募らす日常からオアシスに辿り着いたようなもので、そこで小休止を得るとか、英気を養うといった存在でもあったのでしたが、近頃といったら、人形の小道具としての有職造花とか、瓶子への一輪挿しとか、竹筒にさりげなく生ける草花といった小品の制作にこそ、喜びを感じているのです。

平薬のわかれ。

どんなに不遜な物言いに聞こえようとも、どんな種類の花や葉、動物をモチーフにしようと、私の手からは必ず有職造花として出来上がるのですが、出来上がってしまえば、どんなに光を遮った保管をしようが、日に日に埃を吸い、古びてゆくだけのこと。そればかりが目に付いてしまいます。

そんな虚しさで、ポツンと居る自分を俯瞰しているのです。

平薬

雑木

青楓

藤

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