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■ 近頃のこと

2025/05/31

梅雨入りの頃

ここ数日、雲はひたすら低く、雨も降り始めていますから、このまま梅雨に入るのでしょう。

梅雨入り時の雨に烟る緑といったら、四季の中で最も瑞々しい山野の息吹きに思うのですが、その少し前には、新しい葉がとりわけ椎に目立って、そこばかりを新調したような黄緑は、生き生きと鮮やかに、あたかも古い畳の部屋に、1枚だけ匂い立つイグサの畳を入れ替えたような光景が、そこかしこに点在するのです。

その黄緑が落ち着いて山々の緑に溶け込んだ頃、どうやら梅雨入りとなるように思いますが、そんな自然のサイクルがあるのでしょうか。

文学的な観点や捉え方からしたなら、梅雨にこそ見るべき情緒、謳うべき情緒が溢れるように思うのですが、けれどそれは、かつてこの季節の厚く立ち込めた雨雲の下、夜の青田をうねらせて渡る風を情熱に見誤り、所詮は偶像への勝手な恋慕に過ぎなかろうに、そこに立ち尽くしていたような体験があったからに過ぎないのかもしれません。

数年後、その時のことをエッセイにした最後を『あなたは今も、どこかで暮らしておいででしょう。私は今も、6月の風と共に、あなたを想っております。』と、風に寄せて結んだのでした。

さて、そんな戯言はともかく、梅雨時の生活となると、へばりつく湿度にジットリしたままの床など、私には真っ平だとしか思えないことばかりなのです。

毎年毎年ウンザリさせられるこの季節に、日陰に咲くガクアジサイの情緒ばかりは、忌々しい梅雨にあって、私には束の間であれ慰めの存在でしたから、この季節を迎えるたびに、今年こそはガクアジサイの平薬を作ろうと、毎年思っていたのです。

しかし、実物を前にしながら蕾の処理に行き詰まるばかりで、長く実現出来なくていたものの、それがこの春、12ヶ月瓶子飾りの6月の花として、ガクアジサイの制作依頼から作り始めてみれば、さほど難しいこともなく出来上がってしまったのです。

更に、それを見られた方からの依頼でもう数本仕上げた時、ふと平薬の輪に乗せてみると、それだけで梅雨の気配が立ち登ったのでした。

つい先日、『平薬の別れ』と口にして、もうときめかせてくれる草花もないし、創作平薬への興味も尽きてしまったと嘆いた、その舌の根も乾かないうちのことですから、さすがにきまり悪さは否めないものの、気まぐれは私の専売特許のようなものですから、直ぐさま蕾を3色に染め、花の付いた枝を3本、葉だけの枝を2本作って、直径一尺の輪に植えてみたのです。

そしてその背後に、白い絹織り糸を2本合わせて雨の一筋とし、それを6本張っては、降り続く梅雨の雨に見立てたのを仕上げとして、ガクアジサイの平薬を完成させたのでしたが、その作業が思いがけないほどの楽しさだったのに加え、満足のゆく出来映えにまで辿り着けたのです。

梅雨が主役のことですから、題名は迷うことなく『雨続く』としました。

ガクアジサイと共に、私がいつか有職造花で作ってみたいと思って来たものがもう一つ、赤い種子の付いた青楓です。

昨年、季節外れに青楓の制作依頼があった時、ならば羽のようなピンクの種子がつく頃の青楓にされたらと提案して、その季節が来たら作りましょうと約束したのを実現させました。

『平薬のわかれ』は、実のところ今もそのままの気持ちでいるのですが、私はもう『決定』とか『口にした責任』などというものは、とうに捨ててしまっているのです。

『作りたくなかったら作らなければ良いし、作りたくなったなら作れば良い。それだけのこと。』

私は何時でも、人には必ずこう言って来たのですから、同じことを自分に言うだけのことです。

平薬

パーツ

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