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■ 近頃のこと

2018/05/22

幻の屏風を描き始める

2017/10/6の『近頃のこと』で、『幻の屏風』という記事を書いているのですが、いよいよその屏風を描き始めました。
描き始めたといったところで、有職造花の手が空いて手持ち無沙汰になったのがそもそもで、1月、6月、8月、12月と松の図柄が多い『幻の屏風』は、何となく描き慣れてきた気のする松をお復習(さらい)をするのに都合が良かったのです。
屏風の図案と月の関連が明確なのは、1月『小松引き』6月『常夏』、9月『重陽』、11月『下賀茂』だけで、後は殆ど推測すらままならないのです。
こうした屏風には、1面ずつに料紙に書かれた和歌が貼られているのですが、 写真では文字など殆ど写っていないのです。写真から和歌を突き止められたのは、ただ6月の一首だけでした。
全く、巡り合わせというのはいつでも不思議なもので、その和歌は二十過ぎから折に付け仮名書きしてきた歌の一つだったのです。仮名書きといっても、例えば祝儀袋とかを書くのに筆を持った時ふと思い付いて、ちびた筆で書いてみるといった程度なのですが、6月の図に添えられた和歌はそんな一首でした。
写真に見えるのは上の句だけなのですが、最初の『ちりをだに』が読み取れた時、直ぐにピンと来たのです。私が書いていた和歌の最初が『ちりをだに』で、最後が『常夏の花』だったからなのです。
藤原定家の和歌による12ヵ月平薬でも6月の花は常夏でしたし、そもそも撫子を常夏と呼ぶことを知ったのは、この歌からだったのです。屋敷の門口で男児が振り返るその目の先に描かれているのは、野に咲く撫子だったというわけです。それは、和歌が写っていて突き止められたことなのです。どの図の和歌も読めたならば、それぞれにこうした解明が得られただろうにと、残念でなりません。
三尺の屏風にこの月次図を線書きしたまま、十数年も彩色に向かえなかったのは、絵を描くのが殊更億劫なのに加えて、復元だなどと構えていたからではなかったかとも思います。
そもそも写真は不鮮明、和歌は写っていない、月次図といいながら図案と月の関連も不明と、分からないことばかりなのですから、所詮復元など出来るわけがなかったのです。
幸い歳を取ると、それまで妙に厳密を義務付けていた事など、もはやどうでもよくなったりするもののようで、そもそも絵を描くのが苦痛な者が、心惹かれた屏風を楽しんで写せるというのなら、どうせ解明など出来ないのだし、どんなでも良いじゃないかと開き直ってしまえば気楽なものです。
図案と月の関連が分からないのならば、何らかの根拠で関連付ければ良いだろうとも思い付きました。それは、茅屋根の向こうにススキや蔦が繁るだけという7月の図を描いていた時のことなのですが、藤原定家の7月の歌が女郎花なのですから、草の繁みに女郎花を描き加えてしまえば、紛れもなく7月の図になるというわけなのです。
ならば、まるで不鮮明な3月や4月も、定家の歌に当てはめてみると、4月の図に白く見える花は、そもそも旧暦の4月には遅すぎる山桜ではなく卯の花ということになりますし、3月の山には藤の花を描きこんで然るべきということになります。何だか楽しくなってしまいました。
6日で半双を一通り描き終えたのですが、途方に暮れるばかりだった2図に取っ掛かりが出来たことですし、仕上げは後回しにすることにして、残り半双をその2図から描き始めてみようかとか、結構ウキウキとしているのです。

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